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内政


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紛争前のボスニアの民族構成はムスリム系44%、セルビア系33%、クロアチア系17%であった。旧ユーゴ連邦の崩壊が進む中、92年4月、ボスニアの独立を巡って民族間で紛争が勃発し、3年半以上に渡り各民族が全土で覇権を争って戦闘を繰り広げた。その結果、死者20万人、難民・避難民220万人と言われる戦後欧州で最悪の紛争となった。

95年12月、デイトン和平合意の成立により戦闘は終息した。同合意によりボスニアは、ムスリム系及びクロアチア系住民を主体とする「ボスニア連邦」及びセルビア系住民を主体とする「スルプスカ共和国」という2つのエンティティから構成される一つの国家とされた。それぞれのエンティティーが独自の警察や軍を有するなど、ボスニアは高度に分権化された国家となっている。

和平履行は、和平履行評議会(PIC:ボスニアにおける和平履行に関心を有する国及び機関の合議体)の下に、民生面を上級代表事務所(OHR)が、軍事面をNATO中心の多国籍部隊(SFOR)が担当。軍事面での成果は上がっており、治安も概ね安定。しかし、民族間の確執は未だ根強く、民生面での和平履行は進展が遅い。OHRが掲げている現在の主要課題は、国家機構の整備・強化、難民・費難民帰還の促進及び経済改革の3点。難民・避難民の帰還は少しずつ進展しているが、現在でも約150万人以上に上る難民・避難民が存在。

2000年に行われた選挙の結果、中央レベル及びボスニア連邦において、紛争勃発以来初めての社会民主党BHを中心とする非民族主義政権が誕生した。この非民族主義政権下において、主要3民族の平等を確保する憲法改正(下記注参照)が実現した。

(注)ボスニアを構成するエンティティーである ボスニア連邦及びスルプスカ共和国では、従来、FD憲法はボシュニャク(ムスリム系)及びクロアチア系のみを、RS憲法はセルビア系のみをそれぞれの構成民族とし、他の民族は少数民族として差別的に扱っていた。2000年7月、ボスニア憲法裁判所は、こうした状態を是正すべく、「同国を構成する両エンティティーにおいて主要3民族(ボシュニャク、クロアチア系及びセルビア系)の平等が保障されなければならない」とする決定を行い、両エンティティーに憲法改正を命じた。本年4月、それを受けた両エンティティーの憲法改正がようやく実現し、これにより、両エンティティー大統領、副大統領職や閣僚ポストの同一民族出身者による独占等が回避され、それを通じて難民・避難民の帰還、特に少数民族派難民・避難民の帰還を促進することが期待される。

しかし、2002年10月に行われた選挙の結果、これまで政権を担ってきた非民族主義政権が伸び悩み、大統領評議会会員選挙では、3名とも民族主義政党出身者が当選する等、結果的に民族主義勢力が伸長することになった。12月20日、大統領評議会はテルジッチ氏(民主行動党副党首)をボスニア閣僚評議会議長(首相)に指名し、23日には中央議会下院がそれを承認した。今後、中央政府内閣が組閣されることになる。

なお、米国における同時多発テロの関連では、9月21日以来、ボスニア当局者及びSFORにより、オサマ・ビンラーディンに関係していると見られる者がボスニアにおいて逮捕されている。紛争中、ムジャヒディーンがボスニアのムスリム側に加担して戦闘に参加し、現在でもその一部(400−700名程度と言われる)がボスニアに居住していると言われている。