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サラエヴォに灯る希望の光

このコラムでは現在サラエヴォに滞在中のSFP代表森田太郎が現地の様子、活動を通して感じたこと、出来事などをご紹介します。

【第1回】 「帰郷」
【第2回】 「まだ遠い光の点」 〜前編〜
【第2回】 「まだ遠い光の点」 〜後編〜
【第3回】 「心の中のトンネル」
【第4回】 「皮肉な楽園」

 

【第1回】 「帰郷」

(2003/04/22)

 2001年11月以来となったサラエボ「帰郷」は、まるで学生時代に大学のある清水(静岡県)から実家の武蔵野(東京)に帰るかのような感覚だった。
 ウィーンからサラエボへと飛ぶ機内では、やはり国際機関の職員が圧倒的に多く飛び交う言葉も英語が多く、ちょっぴり寂しげでしたが、時折後ろの方から聞こえる懐かしい言葉が久々の「帰郷」に花を添えてくれているように感じた。

 サラエボ空港は新調されたとはいえ、雰囲気は以前のままでどことなく殺伐としている。到着時間が予定よりも1時間早くなったため、迎えにくるはずのチェロの姿はなかった。待っていてもよかったが、空港が閉まるというのでやむなくタクシーでボスニア・ヘルツェゴビナ共和国セルビア人共和国スルプスカ・イリジャ市ボイコビッチに向かうことにした。
 地名を長々と書く必要が以前としてあるこの国の事情は7年という歳月とは無関係で、「ボイコビッチまで行けますか?」と尋ねた時のタクシーの運転手の顔の表情にも7年という歳月が何も変えていないことを証明していた。
 何も言わずにただ頷きながら、苦い顔をして彼は車を空港から国道をフォッチャ(※1)方面へと走らせた。「セルビア人共和国へようこそ」という看板が過ぎると、そこからセルビア人共和国。境界線の町ドブリニャを抜け、車はルカビッツァを左手にボイコビッチへと向かった。ぼくにとっては単なる看板をひとつを越えた感覚だが、運転する彼の心の中が心地よいものでないことをぼくはわかっていた。アーツォ(※2)が見せた生れ故郷イリジャでの暗い顔が少し蘇った。

サラエボ・ダービー。写真はFKサラエボのホーム、コシェボスタジアム。サラエボオリンピックのメイン会場でもあった。

 車内の空気をどうしても明るくしたかったので、ぼくは彼にサッカーの話をふった。週末にサラエボ・ダービー(※3)が控えているからだ。
 「どっちを応援しているの?」という質問に返ってきたのは、「サラエボ!」とうZELJOの熱狂的ファンであるぼくにとっては期待はずれの返答。それでも、彼に若干の笑みが浮かび、それぞれのクラブについて話した。
 「ところで、お前はどこから来たの?」
 「日本だよ。」
 ぼくが日本から来たとわかると彼の顔はさらに明るくなったのを感じた。
 「俺たちの選手が今日本にいるだろ?」
 「あぁ、いるね。ぺラック(※4)だろ?」
 「そうそう。彼は今どうなんだ?」
 「ぼくが日本にいる間の範囲ではなかなかの活躍だったよ。期待できると思うよ。」
 「そうか、それでクラブはどうなんだ?」
 「悪くないけど、前年は2部リーグだったからちょっと頑張らないとね。」
 「大丈夫、ぺラックがいれば落ちることはないぜ。」
 「そうだね。ただ、彼がZELJO出身だったら優勝も可能だったのになぁ!(笑)」
 「ハハハッ!次の日曜に全てがわかるよ!」
 1人のボスニア出身の選手が日本で活躍していることで、彼とぼくが数分の間でも気楽に話せたことをぼくは素直に喜んだ。今までに日本でプレーしたボスニア出身の選手はラーデ・ボグダノビッチ(元ジェフユナイテッド市原:元ユーゴスラビア代表)、エディン・ムイチン(元ジェフユナイテッド市原:ボスニア・ヘルツェゴビナ代表)、スルジャン・ペツェル(元清水エスパルス:元ボスニア・ヘルツェゴビナ代表)、アルミール・トゥルコビッチ(元セレッソ大阪:ボスニア・ヘルツェゴビナ代表)がいるが、ピクシーことドラガン・ストイコビッチほど長くいたことがないために、なかなか国の名前が日本で浸透しない。しかし、今回のぺラックが日本で大活躍し、長年日本で活躍しなくとも、パトリック・エムボバのように、日本をバネに世界に飛び立ってくれればと願った。
 
 ボイコビッチの集落の明かりが目に入った時、「帰ってきた」という感覚を覚えた。
 ぼくにとって、サラエボはボイコビッチであり、イリジャです。ボスニア連邦側のイリジャとセルビア人共和国側のイリジャ、この2つの地域の人々が、FKクリロを支え、そして私を支えてくれた。
 チェロ、そしてティナとの再会。
 1年半ぶりとなった彼らとの再会は、1年半ぼくの心の中で育んでいたいろいろなものを溢れさせた。1年半も留守にしたにも関わらず、ティナ、チェロ、そしてバビッチはFKクリロを支えつづけてくれたのだ。感謝という言葉以上のものが頭で回転し、言葉としてまとまる時間を与えてくれなかった。

FKクリロのセルビア人コーチ・「チェロ」ことズドラブコ・ジェビッチ。彼が経営するカフェFrogにて。後ろに映っているのはFKクリロが創設以来の3年間で獲得してきたトロフィー。

 「ようミーシャ、長かったぞ1年は」というチェロの言葉、「やっと帰ってきたわね」というティナの言葉。嬉しい反面、申し訳ないという気持ち、そしてこれからの1年でとり返すという気持ちが盛り上がり、ぼくを複雑な気持ちにさせた。
 滞在先の部屋で荷物の整理をしながら、ぼくは3年前の同じ時を思い出していた。
 FKクリロを創設し、帰国とためベオグラードへと向かうバスに乗り込む前にティナがぼくに向けた言葉。
 「あなたいつ帰ってくるの。それまでは、私たちに任せておきなさい。絶対継続させていくから、安心して。今ではあなただけでなく、私、バビッチ、チェロ、ワヒダがこのクラブを支えているわ。だから、クリロはもう子どもたちと理解してくれた親たち、そして私たちのものだよ。私たちには続ける義務があるのよ。それをしっかりと胸にしまって、日本で頑張りなさい」(※5)
 3年前の彼女の言葉が、ゆっくりとぼくの頭の中の混乱を落ち着かせてくれた。
 来年3月までの1年間。ここサラエボでFKクリロとともに生きていく。3年前のティナ、バビッチ、チェロ、親たち、友人たち、そして子どもたちの心の一つひとつを見つめ返しながら歩んでいこう、ぼくの心はそう静かにつぶやいたような気がした。


※1 フォッチャ:ボスニア・ヘルツェゴビナ南東部の都市でセルビア人共和国に位置する。
※2 アーツォ:ぼくの友人であり、拙著『サッカーが越えた民族の壁-サラエヴォに灯る希望の光-』の「コラム2」に記載
※3 サラエボ・サービー:サラエボをホームとする2つの ビッグクラブの試合のことで、FKサラエボとNKジェリェズニチャルがある。NKジェリェズニチャルは通称「ZELJO(ジェーリョ)」と呼ばれる。
※4 ぺラック:アルビン・ぺラック(21歳)現在日本のJリーグで活躍するボスニア・ヘルツェゴビナ代表の選手。セレッソ大阪に所属。
※5 拙著191ページより

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