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サラエヴォに灯る希望の光

このコラムでは現在サラエヴォに滞在中のSFP代表森田太郎が現地の様子、活動を通して感じたこと、出来事などをご紹介します。

【第1回】 「帰郷」
【第2回】 「まだ遠い光の点」 〜前編〜
【第2回】 「まだ遠い光の点」 〜後編〜
【第3回】 「心の中のトンネル」
【第4回】 「皮肉な楽園」

 

【第3回】 「心の中のトンネル」

(2003/05/10)

 4月の最終日曜日を飾る復活祭が終わり、ボスニア・ヘルツェゴビナは5月1日メーデーから連休に入る。日本のゴールデンウィークのようなものである。ぼくとチェロも休みになると店が開かず、体育館なども開かなくなるので連休前に済ませておくべき仕事をイリジャで終えた。

 復活祭前まで風が南風になってそろそろ春だなと思っていたのだが、この日は初夏を思わせるような日差しと25℃を超える気温だった。ボイコビッチへの帰り道であるブトミールの並木は新緑が美しく、木漏れ日がまぶしかった。仕事を終えて気分が晴れやかなチェロは、1年半前から行こうと言っていた「トンネル博物館」に行かないかと誘った。時間はたっぷりあったし、本当に気持ちのよい日だったので、思い切ってこのまま行くことにした。

 サーニャ(チェロの奥さん)の運転で車はブトミールの町を主要な道路から左に曲がり、空港の方角へと向かった。サラエボ国際空港は所在地からブトミール空港と呼ばれる。成田空港が新東京国際空港と呼ばれるのと同じである。空港の出入り口がドブリニャ側にあるのでブトミールという町がどのように関連しているのかはなかなかわかりにくいのだが、出入り口のちょうど反対側がブトミールとなる。

戦争中にアメリカやEU、そしてサウジアラビアによって空から落とされたり、陸から運ばれたりした食料袋。
 
戦争中の状況を記す地図とボスニア軍の旗。
 
戦争中の軍服や武器。
 
暗く、冷たく、狭い10mばかりのトンネル。
 
トンネルを抜け、前に広がるのはサラエボ国際空港だった。

 戦争中、この空港近辺にあるブトミール、ドブリニャ、そしてイリジャはサラエボでも最大級の激戦地であった。

 住宅街の奥まったところにトンネル博物館はあった。戦争中、スナイパーの銃撃や迫撃砲から逃れながら移動するために作られたトンネル。ブトミールからドブリニャまでつながっている。そこを博物館にしてあるということで、ぼくだけでなく、チェロとサーニャも興味津々であった。なお、このトンネルはボスニア軍の軍事拠点であり、サーニャとチェロがセルビア人であることがわかると少々まずいこともあり、少し緊張していた。

 民家のような場所であったが、一応係の人がいて、3人でKM5(※2)の入館料がとられた。
 博物館内にある資料展示室には戦争中の軍服から地図、武器などが飾られ、ボスニア軍の旗が掲げられていた。地図は戦争中のサラエボにおけるセルビア人勢力の支配下を赤く線で引かれ「セルビアによる占領」と書かれていた。資料室を覗いてから、トンネルに入っていった。

 2メートルほど下ると、屈みながら人が1人進めるほどのトンネルが続いていた。両端を木で固定してあり、トロッコ用の線路が引かれていた。中はひんやりとしていて、半袖のチェロは「寒いな!」と言って足を速めた。

 戦争中、人々がこの様にして町を行き来していたことを考えると、日常の生活というものが崩れていく恐ろしさを感じた。また、暗いトンネルを歩きながら映画『パーフェクトサークル』(※3)のラストシーンを思い出していた。
 かなり長く続いていると期待して進んでいくと、なんと10mほどで地上に出てしまった。
 地上に出ると目の前にはサラエボ国際空港が広がっていた。
 
 空港を眺めながらチェロが戦争中の話をしてくれた。右手に見えるルカビッツァ(スルプスコ・サラエボ)にチェロはいて、武器などの輸送を担当していた。また右後ろに位 置する現在のSFOR駐屯地にアーツォたちがいて銃口を空港側へと向けていた。チェロはどこまでがセルビア人勢力下で、どこからがイスラム教徒(ボスニアック人)の勢力下だったかを詳しく説明してくれた。
 話を聞きながら、目の前に広がる「前線」に言葉を失った。

 博物館の2階にも資料室があり、そこに行ってみると以前SFPのスタッフがよく買って帰った「サラエボ戦争地図」(※4)がかけられていた。サラエボの街を戦車や砲台、戦闘機が囲んでいる絵地図だ。その地図を見た時のチェロとサーニャの顔の変わりようは激しかった。
 やるせない思いと、自分たちが憎まれていることを痛切に感じたという気持ちが顔の全面 に表れていた。
 「俺はここにいたよ。」と言ってチェロはサラエボの街に砲口を向けている戦車や砲台が描かれている場所を指さした。

 博物館から出ると、しばらくぼくたちの間に会話はなかった。沈黙がゆっくりと初夏を思わせる日差しの中へと溶け込んでいった。なんともいえない、複雑で重い感情がぼくの心の中でうごめいていた。

 Frogに着くと、チェロとサーニャは友人たちにトンネル博物館の話を始めた。友人たちのほとんどが「まったく!」と言って怒っていた。友人だけでなくチェロとサーニャも飾られていたもの、書かれていたメッセージに感じた不快な思いを語っていた。セルビア人である彼らにとって、それは素直な気持ちであろうとぼくは思った。
 チェロがぼくに笑いながら話を向けた。
 「俺たちみんなハーグ(※5)行きかな?」
 「そんなことないでしょ?」
 「だって、戦争に関わっていたぞ。」
 「そんなこと言ったら、ボスニア・ヘルツェゴビナからたくさんの人がハーグに行くことになるよ。セルビア人だけでなく、ボスニアックも、クロアチア人もね。」
 「そうだよな。」
 ライトの明かりがあっても暗い、冷たい、狭いトンネルだった。ひんやりとして、締めつけられる感覚が常につきまとうトンネルだった。そのトンネルはほんのわずか10mに過ぎなかったが、ぼくには長く長く感じた。

 戦争という暗い日々、冷たい銃口が人々に向けられた日々、人々が抱いていた希望が奪われていった日々、そんな戦争の3年半。そして、その戦争が終わってからの7年が過ぎた。それでも、ボスニア・ヘルツェゴビナという国はまだ「トンネル」から抜け出せないでいる。
 人々の心の中ではまだ長い長いトンネルが続いている。


※2 KM5:ボスニア・ヘルツェゴビナの通貨はKM(兌換マルク:現地名「Konvertibilna Marka」)と言い、EURO導入前までは1ドイツマルクが1兌換マルクだったが、現在は1EUROが1.95兌換マルクとなる。

※3

『パーフェクトサークル』:1997年製作でボスニア・ヘルツェゴビナ出身のアデミル・ケノヴィッチ監督の作品。日本では岩波ホールで上映された。非常にリアルな映像の中に、メッセージを織り込んだ空想の世界を描いた秀逸な作品である。

※4

サラエボ戦争地図:サラエボの中心街の本屋さんやキオスクでも買える地図KM10程度で購入できる。

※5

ハーグ:オランダの都市で国際司法裁判所がある。旧ユーゴ戦争犯罪者法廷が開かれている。現在注目されているのは前ユーゴスラビア大統領のスロボダン・ミロシェビッチ氏の法廷である。この他にも、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、クロアチアにおける戦争犯罪が裁かれている。