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【第4回】 「皮肉な楽園」
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(2003/05/31) |
【第4回】
キッチンの窓から朝のまぶしい光が差し込み、静かに一日が明ける。ぼくは朝食のパンを買いに、フラスニツァ(※1)からイリジャまで自転車を走らせ朝の清々しく美味しい空気を身体に吸収する。
フラスニツァからイリジャまでの道には、ストイチェバッツ国立公園(※2)、ブレロ・ボスナ国立公園(※3)があり、動植物たちが織り成す深く多彩な自然が、豊穣な朝を演じてくれる。このストイチェバッツ国立公園とブレロ・ボスナ国立公園は共にイグマン山の麓に位置する湧水地帯に広がる自然公園で、深い緑が広がり、様々な鳥たちのさえずりが絶え間なく聞こえてくる。
しばらく、立ち止まって耳を傾けると、多種多様な鳥たちのさえずりがあちらこちらから耳を優しく撫で、目をつぶれば自然公園のオーケストラを思う存分味わうことができる。
ただ、この素晴らしい自然環境は人々の努力によって維持されているだけでなく、もう1つの面が隠されていることをぼくは毎回のサイクリングで感じている。人々の森への侵入を妨げ、人に入り込むことを拒ませる、ある「もの」の存在を。
92年からの戦争における激戦地イリジャに位置するこの自然公園一帯は、セルビア勢力、イスラム勢力の両陣営が勢力圏の奪い合いをしたことから多くの地雷が敷設された。サラエボにおいても地雷の危険性が非常に高い地域である。地雷除去作業の済んだ場所では、週末多くの人々がバーベQをしたり、イグマン山から湧き出す豊富な湧水が奏でるせせらぎに耳を傾けているが、「MINE」と赤く書かれた看板や「MINE」と記された黄色いテープ、そして赤と白の横縞模様の杭が打たれている場所には、まだ多くの地雷が埋まっている。
人の命を狙うことよりも、人がケガをした方が多くの人を治療や搬送に使わせることになり、効果的だとして用いられる地雷。地雷の敷設は戦争においても最も非道で、人間として許すことのできない罪である。
戦中、戦後あわせて多くの市民がこの地雷によって手や足を失っている。今でも、ボスニアではラジオ、テレビ、雑誌や新聞の広告などが地雷の危険性を市民に伝えている。しかし、どこに地雷が埋まっているかがわからない地帯もあり、この国は依然として地雷の危険性が高い。
ストイチェバッツ国立公園、ブレロ・ボスナ国立公園周辺、そしてイグマン山に広がる豊な自然は、地雷によって人の侵入を拒み、守られ、数多くの種類の鳥たち、小動物、そして植物の楽園を作り出している。
なんとも皮肉な楽園の姿にぼくはこの30分のサイクリングの間しばらく考えさせられている。
地雷原に羊たちが悠々と歩いていた。その羊たちと共に羊飼いが柔らかい陽の光に照らされて、タバコを吹かしながら時の流れに身を委ねていた。生活の中で身につけた地雷原の歩き方。決してぼくには真似のできない、いや真似をしてはいけないことだ。遠くにそんな光景を見つめながら、普段の生活の中に地雷がつきまとうという深刻さを強く感じた。
動物、または植物がその生涯を閉じた時、大地は彼らを優しく包み込み、多くの時間をかけて吸収し、新たな生命を生み出す。しかし、その偉大なる自然の時間を歩むことなく、人々を待ちつづける地雷が、ここサラエボでは今も大地を汚しつづけている。
| ※1 |
フラスニツァ:イリジャ市に位置し、ボスニア連邦とセルビア人共和国を分ける境界線が位置する町。戦前は大企業のFAMOSの工場があった工業地帯であった。この町にFKクリロのクラブハウスがある。 |
| ※2 |
ストイチェバッツ国立公園:イリジャ市に位置する国立の自然公園。ブレロ・ボスナ国立公園からフラスニツァよりに位置する。週末は多くの人々がバーベQにやって来る。FKクリロも公園内のサッカー場で練習をすることがある。 |
| ※3 |
ブレロ・ボスナ国立公園:イグマン山から湧き出す湧水を溜める泉と森の公園で、イリジャ市に位置する国立の自然公園である。戦争で唯一生き残ったサラエボ動物園の動物である1羽の白鳥がこの泉にいることは日本でも新聞で伝えられた。夏でもイグマン山の深い緑と泉のせせらぎによって涼しいこの公園には週末になると多くの人々が訪れる。 |
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