|
■クリロの発足まで■
多民族混成少年サッカークラブ・FKクリロは、2000年の2月にボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ近郊にて発足しました。
クリロは、現在サラエヴォ・フットボール・プロジェクトの代表を務める森田太郎が、「サッカーによる民族融和」という論文にて第1回秋野豊賞(98年にタジキスタンで国連平和監視活動中に凶弾に倒れた国際政治学者の秋野豊氏の遺志を継ぎ、ユーラシアの紛争解決と平和のために調査・研究しようとする若い世代を支援するために創設)を獲得したことをきっかけとしてはじまります。
森田は99年に民族融和活動のボランティアのためにサラエボを訪問、その際の体験をもとに「サッカーによる民族融和」という論文を書き記しました。そして、秋野豊賞の助成金をもとに2000年の2月にサラエボを再訪、前年に活動に参加した現地のNGOである「DBS(Danas za Bolje Sutra:よりよい明日のための今日)」の協力を得つつ、前年の活動中に知り合った子どもたちなどを集めながら、クリロは誕生しました。
ボスニア紛争の結果、ボスニアは、ボスニア連邦(ボスニャック人とクロアチア人が主に在住)とセルビア人共和国(セルビア人が主に在住)という準国家に分断され、相互の交流はほとんどない状況でした。それぞれに住む民族は、相手の民族に対して憎悪あるいは嫌悪の感情を持ち、多くの人たちは交流など望まないほどでした。しかし、双方の民族が融和しない限りまた新たな紛争の火種が噴き出すことは明らかであり、地道な交流・対話が不可欠な状況でした。
クリロの発足当初は、まずそれぞれの地域で別々に練習することからはじめられました。サッカーが大好きな子どもたちは森田の誘いに応じ、いい遊び相手、練習相手を得たことを喜び、次第に参加する人数を増やしていきました。しかし、その子どもたちを別地域への練習に誘ってみたところ、「あの地域には人殺しがいるから行きたくない」という答えが返り、なかなかに両地域の子どもたちによる合同練習は実現しませんでした。
そんな中で、ボスニャック人の子どもが一人、セルビア人共和国での参加に意を決して参加することになりました。その子どもは境界線を越えるときには緊張し、練習もはじめはぎこちないものでしたが、セルビア人の子どもたちに温かく迎えられ、最後には一緒にボールを追っかけていました。そして、その一人の子どもが境界線を越えたことをきっかけに、他の子どもたちも少しずつ境界線を越え始め、相互の地域における相互の民族の交流が実現することとなりました。
*クリロ発足の経緯については、「サッカーが越えた民族の壁(明石書店刊・森田太郎著)」に詳述されていますので、ぜひご覧ください。
■クリロのこれまでの主な活動■
1. サッカークラブ活動概要
首都サラエボ近郊のイリジャ(ボスニア連邦<ボスニャック人とクロアチア人が主に居住>)とボイコビッチ(セルビア人共和国<セルビア人が主に居住>)を活動の拠点として、それぞれの地域に住む9〜15歳の子どもたちを集め、他民族混成少年サッカークラブ・FKクリロは活動しています。
毎週末の土曜日と日曜日、FKクリロは練習と対外親善試合を行っています。練習は、イリジャ、ボイコビッチ双方の空き地にて現在行っています。イリジャとボイコビッチは車で15分程度の距離でありながら両地域を結ぶ公共交通機関がないために、普段はそれぞれの地域に住む子どもたちの交流はありません。そこでクリロではコーチがバンを運転することで子どもたちの送迎を行い、相互の地域に住む子どもたちの交流を実現しています。
クリロにはボスニア連邦、セルビア人共和国からそれぞれ15名程度ずつ、30名程度の9〜15歳の子どもたちが登録し、日々の活動に参加しています。バンの収容人数が10名程度と限られているため、参加者人数を限定した活動となっています。15歳を超えた子どもたちはクリロからは卒団することとし、卒団した子どもたちの人数分、新たな子どもたちに交流の機会を提供しています。
2. クラブの特徴
クリロの練習と試合への参加は、民族間の交流を目的としたサッカークラブである、という理念に賛同し、活動への参加を親が承諾してクリロへ登録した子どもたちを対象としています。
ボスニアでサッカーはもっとも子どもたちに人気のあるスポーツであり、街のあちこちでボールを蹴る子どもたちを見かけることができますが、子どもたちが練習や試合をする機会は日本と違いかなり限られています。日本では学校のクラブ活動、あるいは地域のサッカー少年団に所属し、安価な会費を払うことで子どもたちはきちんとした練習を受けられ試合に参加するという楽しみを得られますが、ボスニアには学校のクラブやサッカー少年団のようなものはなく、プロクラブチームの下部組織としてジュニアチームがいくつか存在しているだけです。プロクラブチームのジュニアチームに参加するためには会費が必要であり、平均月収の1割前後を支払う必要があるため、経済的に余裕のある家庭のみにその機会は限られてしまいます。
そこでクリロでは登録している子どもたちに対し、コーチによるトレーニングを毎週受けることができ、親善試合や交流試合に参加する機会を、子どもたちから会費を徴収することなく、提供しています。それにより、子どもたちは普段は関わることのない他民族の子どもたちとサッカーを通じて触れあい、トレーニングによりサッカー技術を向上させ、それぞれの将来、可能性を広げることにつながっています。
設立時こそ、セルビア人の子どもがボスニア連邦に行く、ボスニャック人の子どもがセルビア人共和国に行くことは非常な抵抗がありましたが、いまではどの子どもたちも全く問題なく境界線を越えてそれぞれの地域に向かい、一緒に日々の練習を行い、対外試合となればチームメートとして民族など全く関係なく共にプレーをしています。チームの背景を知らずにクリロの練習風景をみたならば、全く「普通」のサッカーチームとしか見えないほど、民族の問題なくクリロは活動しています。
プロクラブチームのジュニアチームは、チームのある地域の子どもたちが中心として集まってくるため、ボスニア連邦のチームにはボスニャック人とクロアチア人、セルビア人共和国のチームにはセルビア人しか大抵は集まりません。プロクラブチームでさえ、同様である状況では、クリロのように両地域の民族が半々に混合しているチームの存在はいまのボスニアでは稀有であるといえます。また、NGOによる民族交流活動として、夏の一期間にスポーツ大会を開催するような活動は他にも行われてきましたが、他民族混成のチームが長期間にわたり交流活動を継続しているケースは類を見ません。これも、クリロの活動の大きな特徴といえます。
3.クリロ運営状況(2000年2月〜2003年8月)
FKクリロは、クリロ発足のアイディアをサラエボに持ち込み、チームを立ち上げた森田太郎をディレクターとし、通常活動を行うためのコーディネーターをクリスティナ・シェシュリヤ(セルビア人)、アシスタント・コーディネーターをワヒダ・ゴロ(ボスニャック人)とし、日々の練習を統括するためのコーチとしてヒムゾー・バビッチ(ボスニャック人)、ズドラブコ・ジェビッチ(セルビア人)とする5人のスタッフで発足しました。
ディレクターは活動全般を統括し、年間の活動計画の作成や日本との連絡調整を主に行ってきました。コーディネーターはディレクターの支持の下に現場活動を統括し、財務管理を行ってきました。コーチは毎週末の練習をコーチとして実施するだけでなく、子どもたちの送迎ドライバー、親善試合や大会のコーディネートなどを行ってきました。4人の現場スタッフは、非専従スタッフとして給与が支払われてきました。
クリロは年間50〜70万円程度の経費で運営されており、スタッフ給与のほか、子どもたちの送迎のための経費、練習場レンタル費などとして使われています。クリロ運営経費は全てSFPが調達しており、クリロサポーターズクラブ会費収入、寄付金、助成金収入、フリーマーケットなどの事業収入などをSFPを通じてクリロに届けています。また、クリロのユニフォーム、ボール、クリロTシャツ、保護者Tシャツ、ゼッケン、手袋などは、会員や支持者の皆様よりご提供いただいています。
4.クリロの様々な活動
●SFPカップ
クリロは、チームとしての民族間交流を通常行っていますが、民族間交流の機会を多くの子どもたちに対してさらに広げるために、多民族混成チームのクリロを中軸として、ボスニア連邦のチームとセルビア人共和国双方のチームを招いてのサッカー大会「SFPカップ」を開催しています。
第1回大会は2001年4月に開催され、BCブバマーラ(ボスニア連邦)、FKブトミール(ボスニア連邦)、FKスラビヤ(セルビア人共和国)、そしてクリロの4チームが参加して行われました。大会は15歳以下を対象としたトーナメントとして行われ、1位BCブバマーラ、2位FKブトミール、3位FKクリロ、4位FKスラビヤという結果となりました。
SFPカップはただの交流試合という意味合いだけでなく、多民族交流の機会を相互に必要と感じるチーム同士が協力して大会を実施しており、その趣旨は大会開会にあたり参加する全ての子どもたちに説明されています。また、クリロにとっては日々の練習成果を発揮するまたとない機会となっており、チームとしての一体感をさらに高めるための重要なイベントと位置づけられています。
第2回大会は2003年8月に開催され、FKブトミール(ボスニア連邦)、FKスラビヤ(セルビア人共和国)、SASKナプレダク(ボスニア連邦)、クリロの4チームが参加して行われました。大会は2日間に渡り、年長世代と年少世代に分けてのトーナメントとして行われ、年長世代は1位FKクリロ、2位FKブトミール、3位 4位、年少世代は1位SASKナプレダク、2位FKスラビヤ、3位FKブトミール、4位FKクリロとなりました。
今後も年に1度程度の継続開催を予定しています。
●保護者会、親子サッカー大会
クリロの活動には、保護者たちの理解が不可欠です。保護者会では、クリロでは民族間の交流を行う、他民族地域へ安全に子どもたちを連れて行くという活動内容を説明し、活動についての意見交換を行っています。それだけでなく、子どもたちの民族交流と同様に大人同士の民族交流の機会としても、大変貴重な場であると位置づけています。
また、クリロの活動に保護者にも積極的に参加してもらうため、親子サッカー大会の開催も行っています。親子、あるいは保護者同士の交流だけでなく、なによりも親子そろってサッカーを楽しむことができるこの企画は、大変な好評を博しました。
●フューチャー・リーグ
ボスニアのプロリーグは、長らくボスニア連邦とセルビア人共和国で別々に運営され、国のリーグとして統一されていませんでした。2002-2003シーズンになってようやくプロリーグは統一されましたが、クリロではそれに先立つ2001年に、プロリーグやジュニアリーグの将来的統合を夢見て、「フューチャー・リーグ」と名づけた大会を開催しました。
サラエボは大変雪深いところであり、冬になると屋外でのサッカーは不可能となります。そこで屋内体育館を借り切り、冬季の練習に同様に困っているチームを集めて、4チーム、2カテゴリー、2回戦総当りのリーグ戦を、2002年1〜3月に渡り開催しました。
FKブトミール(ボスニア連邦)、NKビセリ(ボスニア連邦)、FKファモス・ボイコビッチ(セルビア人共和国)、FKクリロの4チームで行われたリーグ戦は、年長世代ではFKブトミール、年少世代ではFKファモス・ボイコビッチが優勝して幕を閉じました。
「フューチャー・リーグ」は、「子どもたちが自分の住む地域、そして自分の民族というものを乗り越えて触れ合い、育んだ友情、そして体験というものを、ボスニア全体に広げていく」という現地スタッフの思いから生み出された大会です。大会開催までは、会場となる屋内体育館がボスニア連邦地域であったために、セルビア人共和国のFKファモス・ボイコビッチの移動手段がなかなか確保できず、頓挫寸前の状況となりましたが、最終的にはクリロがFKファモス・ボイコビッチ移動のためのバスを特別に用意することで大会開催にこぎつけました。まだまだ両地域の交流には大きな障壁が立ちはだかっていることをあらためて思い知らされると共に、そのような状況だからこそこのような大会を開催した意義は大きいものでした。
なお、「フューチャー・リーグ」は、秋野豊ユーラシア基金の資金援助のもとに行われました。
●卒団式、OB会
クリロでは9〜15歳の30名程度の子どもたちが活動に参加しています。両地域をつなぐバンの収容人数が10名程度と限られているため参加人数を限定し、15歳を超えた子どもたちはクリロからは卒団することとしています。2000年の設立時のメンバーの多くはいまでは15歳を超えたために卒団し、卒団した子どもたちの人数分は新たな子どもを迎えています。
2003年の9月には、クリロ発足以来はじめての卒団式が行われ、現在15歳である6人の子どもたちが卒団することとなり、セレモニーと卒団記念試合を行いました。卒団する子どもたちに対してはこれまでの活動への参加のお礼がコーチから述べられ、また、選手としては卒団となるが引き続きクリロの活動への協力が依頼されました。
卒団式に先立ち、2003年4月にはこれまでの卒団生たちによるOB会が既に立ち上がっており、クリロの現役生との交流試合と交流会が行われました。そこでは、OB相互の久しぶりの再会がされるとともに、現役の子どもたちにクリロでの練習の成果が披露され、子どもたちを育て続けてきたコーチたちにも成長した頼もしい姿を確認させる機会となりました。
OBたちの多くはいまでもそれぞれサッカーを続け、15歳以下のボスニア代表選手に選ばれたOBや、将来プロサッカー選手になる可能性を持ったOBもおり、クリロの活動の大きな成果となっています。また、アシスタント・コーチとして、時間の許す限りクリロの練習に参加して現役の子どもたちの見本となっているOBもいます。
クリロの現役の子どもたちを中心に、かつてメンバーであったOB、子どもたちの保護者、FKブトミールをはじめとする他のジュニアチーム、そして日本の後援者と、クリロを中心とするコミュニティは着実にサラエボで根付き、広がっています。
5.クリロのこれから(2003年9月〜)
●これまでの活動の成果
2000年からの活動を通じて、民族を隔てる境界線を越えることを最初はためらっていた子どもたちが、今では全く恐れることなく境界線を越え、日々の練習に参加し相互での友情を育んでいます。クリロに参加した子どもたちも100名弱に達し、SFPカップやフューチャー・リーグにより他チームの子どもたちにまで民族交流の機会を拡大してきました。クリロが活動拠点としているボスニア連邦のイリジャは、戦前は多民族混住地域でセルビア人も多く住んでいながらも今ではボスニア連邦となった場所であり、また一方の活動拠点であるセルビア人共和国のボイコビッチは、イリジャとの中間に位置するボスニア連邦のフラスニツァとは激戦を繰り広げたところであり、それらの地域において活動を継続してこれたことに、現地のスタッフは大変な達成感、成果を感じ取っています。
しかし残念ながらいまだにボスニアにおいては民族間の確執が根強く残り、戦争で被った相互の心の傷は癒えていません。これまでの成果を確認した現地スタッフは、まだボスニアに残る課題に対して、これからも挑戦を続けていこうとしています。
●他民族交流のための拠点づくり
クリロはこれまで、イリジャとボイコビッチの空き地を利用して練習をしてきました。自前の練習場・試合グランドを持たない中でも活動を続け、一定の理解は地域において得ることはできましたが、やはり顔の見える拠点を持たないままでの活動には限界があります。
そこで、まずは活動拠点であるイリジャとボイコビッチをつなぐ場所に活動の本拠地をつくることを目指しています。いまは活動場所がそれぞれの地域であるためにバンによる送迎が活動には不可欠ですが、両地域の境界線に活動拠点としてのグランドを設けることができれば、子どもたちは自分たちで通ってくることができるようになります。それによってバンの収容人数により限られてきたクリロへの参加可能人数が大きく広がることにもなります。
また、そのグランドを大人たちにも開放し、大会等を主催することによって、クリロの活動理念をこれまで以上の人々に伝えることが可能となります。活動拠点を作ることで地域に根ざし、この地域を民族交流のモデル拠点とすることを目標として、新たな活動がはじまりました。
●民族融和活動の他地域への拡大
民族交流の機会を必要としているのはサラエボだけではありません。クリロではサラエボ地域にしっかりとした拠点をつくった後に、クリロの活動をボスニア全体に広げていくことを目指します。現在のクリロのように、継続的に活動するサッカーチームを作るという形だけでなく、一定期間チームを結成し、クリロ・サラエボと親善試合を行う、あるいはサラエボ以外の都市においてSFPカップのような大会を開催する、等の活動が考えられます。
|